脱炭素社会の実現に向け、豊富で安価な水素供給を前提に様々な研究開発が進められてきた。しかし、グリーン水素の低コスト化は進まず脱炭素化が困難な状況に陥っている。
この”溺れる者は藁をもつかむ”状況下で、「天然水素」への注目度が高まり、研究機関やスタートアップなどの探査活動が活発化している。本当に「天然水素」は実在するのか?
天然水素とは
「天然水素」は地下に自然に存在する高濃度の水素で、最近になってその存在が世界各地で確認されている。再生可能エネルギー由来の「グリーン水素」、化石燃料由来の「グレー水素」、化石燃料の改質で出るCO2を排出せずに分離固定・貯蔵する「ブルー水素」に対して、天然水素は「ホワイト水素」と呼ばれることもある。
現在は、化石燃料改質の「グレー水素」が生産の中心であり、再生可能エネルギー電力で水を電気分解して生産する「グリーン水素」は高価なため、生産量は極めて少なく一般には流通していない。
天然水素の発見
天然水素の発見は、1987年に西アフリカのマリ共和国の首都バマコから60km離れた村で、水井戸を掘削作業中に起きた作業員の喫煙による爆発事故に始まる。深さ108mの地点から漏れ出たガスが水素であると確認されたが、それ以降、爆発防止のため井戸は封鎖されていた。
2007年、マリ出身の実業家アリウ・ディアロが率いる石油ガス会社ペトロマ(現ハイドロマ(Hydroma))が、同地域の資源探査権を獲得した。2012年にハイドロマがマリ共和国ブラケブグーの油田で、水素濃度が体積割合で97.4vol%の天然水素を偶然に発見し、10日間の生産テストでは貯留層の圧力はほぼ維持されており、高純度な水素鉱床の存在が確認された。
カナダのハイドロマは、ブラケブグーの24カ所で井戸を掘削し、780㎢mの面積に広がる5つの貯留層を特定。貯留層の深さは30〜135 mから1125〜1500 mの範囲で、砕屑粒子が混在する炭酸塩岩で構成されている。しかし、ブラケブグーの水素の正確な供給源やルート、総資源量は不明である。
ハイドロマが採掘を開始して得られた水素は燃料電池により発電され、ブラケブグーの町に供給されている。2018年にマリ共和国における天然水素の発見が論文発表されて以降、天然水素の関する論文数は増加し、2023年には科学雑誌サイエンスで”Hidden Hydrogen”として発表された。
実際に米国を中心にフランスやオーストラリアなどで天然水素の試掘調査が進められ、現在はトルコ、オマーン、カナダ、イタリアなど海洋域を含む世界各地で天然水素が観測されている。国内では長野県白馬八方温泉で高純度の天然水素が観測されている。しかし、高純度の天然水素の産出は珍しい。

世界における天然水素の観測事例:
■トルコ・ヤナルタシュのChimaeraでは、「永遠の火」と呼ばれる地面の割れ目からメタン(87vol%)と水素(10vol%)の混合ガスが漏出し、少なくとも数千年にわたり燃え続けている。
■オマーンのSamailオフィオライトでは、溶存水素を含む強アルカリ泉から流れる小川があり、一部では遊離水素ガスが川床から発生する様子も観察されている。水素濃度は93.8vol% である。
■日本では長野県白馬八方温泉で観測されている 。白馬八方温泉はpH 11.4の強アルカリ泉で、高濃度の溶存水素と遊離水素ガスが観測されている。
■大西洋中央海嶺付近の海底熱水域Lost Cityでは、2000年に低温(<90ºC)の強アルカリ性(pH 9-11)で水素および非生物起源メタンに富む熱水が確認されている。
■その他、スペイン(Ronda)、イタリア(Voltry Massif)、ドイツ、コソボ、アイスランド、フィンランド、スウェーデン、ポーランド、セルビア、ノルウェー、ウクライナ、ロシア、カザフスタンなど、欧州以外では、カナダ(Tableland)、ニューカレドニア(Prony Bay)、ナミビア、ブラジル、カナダなどで観測されている。
天然水素の生成メカニズム
地球上で見られる天然水素は、様々な供給源において生成される。天然水素は、海洋や大陸の地殻変動、火山ガス、熱水システム、地熱塩水など、幅広い地質環境において発生する天然資源であり、現時点で生成プロセスは完全には解明されていない。
天然水素の供給源と考えられる現象:
■天然水の放射線分解:岩石に含まれる放射性元素による水分子の分解による水素生成
■蛇紋岩化反応:超塩基性のカンラン岩が水と反応して蛇紋岩を生成する際に水素を発生
■地殻鉱物に起因する生成:地殻に含まれる炭酸鉄や硫化鉄と水の反応による水素生成
■地球深部からの排出:コア、下部マントルに存在する水素の地表への移動
■火山活動効果:地下のマグマ、熱水による化学反応で水素が生成し、火山ガスに含まれる
■岩石の破砕効果:岩石が破砕された時の新表面における水との反応による水素生成
■微生物による生成:水素生産菌による水素生成
■有機物の分解:地熱や熱水による石炭・石油などに含まれる有機物の分解による水素生成
天然水の放射線分解は、岩石中の微量のウラン、トリウム、カリウム等の放射性元素による。反応速度が遅いため、先カンブリア紀などの古い岩体で長時間をかけて水素生成が行われたと考えられる。
蛇紋岩化反応は、かんらん岩や輝石などの鉄分を多く含む超苦鉄質岩が変質して蛇紋岩となる際に、水と反応して水素が発生する。反応速度は比較的速く、天然水素の生成プロセスの中で最もよく研究されている。トルコのChimaeraやオマーンのSamailオフィオライトは、同プロセスで水素が生成している。
地球深部からの排出は、地球深部のコアや下部マントルから排出された水素が、プレート境界や断層に沿って浅部まで上昇したものである。米国のハワイやニュージーランドのWhite islandは、同プロセスで水素が生成している。
その他、火山活動効果や岩石の破砕効果による水素生成。また、生成量は少ないが生物起源の水素生成プロセスとして、微生物による生成や化石燃料に含まれる有機物の分解が報告されている。

水素の損失(漏出)メカニズムと生産(地下貯留)の可能性
生成した天然水素の一部は地中の断層や割れ目である裂罅を伝い、あるいは岩石中を拡散して、トルコChimaeraで見られるように地面の割れ目から長期間・安定的に放出される。「水素シープ」と呼ばれる稀なケースである。また、直径数100m~数kmの浅い円形窪地(フェアリーサークル)からの水素の少量放出が豪州、ブラジル、ロシア、米国などで確認されており、ある程度の規模で水素放出が一気に起きて生じた小規模陥没跡と考えられている。
一方で、生成した天然水素の多くは、地中浅部において微生物により消費され、多くの場合はメタンを生成する。また、地中深部では岩石やガスと反応して水、メタン、鉱物を形成して消費される。
地下深部で生成した天然水素が上昇する過程で、透過しにくい岩塩層や石灰岩層などの下の多孔質な岩石層に集積されることがあれば、石油や天然ガスと同様に掘削により地下貯留された天然水素を汲み上げることが可能と考えられる。
あるいは、数百万年から数億年といわれる化石燃料の生成期間と比較して、地下で生成した天然水素が上昇する期間は短い。そのため、地下浅部から水素を回収するのに適した割れ目があれば、人工的に蛇紋岩化反応により生成された水素を直接生産できる可能性も考えられる。
さらに、熱水の人工注入による天然水素の生成促進の可能性も考えられる。熱水にCO2を添加することでCO2の地下固定も可能とするアイデアも示されている。



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