石清水八幡宮のエジソン記念碑@京都府八幡市

いろいろ探訪記
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写真1 石清水八幡宮
写真2 エジソン記念碑

 京都の石清水いわしみず八幡宮に、花見を兼ねて参りました。京阪電車の石清水八幡宮駅で降り、南へ数分歩いて頓宮、高良神社を巡り、男山おとこやまのふもとを時計回りに進むと表参道に出ます。北に向かって男山の階段を一直線に30分ほど昇ると、桜の花越しに朱色の本殿が見えてきました。

 吉田兼好の随筆「徒然草」の一節(第52段)に、次のような話が出てきます。

 ある時、仁和寺にんなじの老僧がひとりで男山おとこやま八幡宮に参詣した。ところが老僧は山麓の極楽寺、高良の末社に参拝したのみで、山上にある本殿は拝まずに帰ってきた。そして、次のように言ったそうです。
「お参りの人々がみんな山に登って行く、山登りに来た訳でもないのに・・・・・・・」

 あらまほしきは・・・・・・先達せんだつということです。知識と経験が豊富なはずの仁和寺 の老僧でも、男山八幡宮の本殿が山上にあるという知識を持たずに参拝すれば、僧侶としてあるまじき失態を演じるという教訓です。何ごとにも案内者、つまり先達が必要ということですね。

仁和寺にんなじ:京都市右京区御室大内にある真言宗御室派の総本山。寺名は888年(仁和4年)創建にちなんで命名された。皇室出身者が代々門跡(住職)を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を有する。
男山八幡宮:京都市外の八幡市にあり、859年(貞観1年)創建。現在は石清水八幡宮と呼ばれている。都からみて南西の裏鬼門に位置しており、北東の鬼門にある比叡山延暦寺と共に都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきた。

 写真2のように、石清水八幡宮境内には「エジソン記念碑」が建立されています。「Genius is 1% inspiration and 99% perspiration (天才とは、1%のひらめきと、99%の努力である)」と刻まれたエジソン記念碑が、何故、石清水八幡宮の境内に建立されたのでしょうか?

 数多くの発明を行ったことで著名な発明王トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847-1931年)であるが、その名声を確固たるものにしたのは、1879年に発表した白熱電球であろう。1877年に英国のジョセフ・ウィルソン・スワンが白熱電球の原型を発明していたが、フィラメントの寿命が短く、エジソンが竹炭をフィラメントにして電球の長寿命化を達成したことにより、白熱電球の本格的な普及が始まった。

 この白熱電球は、真空のガラス球内に封入したフィラメントと呼ばれる炭素の芯(炭素繊維)に通電することで、ジュール熱により発光させる。1879年にエジソンは木綿糸にタールを塗ったフィラメントを使い、白熱電球の点灯時間を45時間に延ばすことに成功した。
 しかし、エジソンはより点灯時間が長いフィラメント材料を探し続け、紙や糸、植物の繊維など数々の材料でフィラメントを作り、白熱電球の試作を繰り返した。その数は植物の種類だけでも6,000種類以上といわれている。その結果、研究所にあった中国のお土産である扇子の骨に使われていた竹をフィラメントに使うことで、連続点灯時間が200時間を越えたのである。

 そこでエジソンは10万ドルの費用を費やし、20人の調査員を派遣して世界中から様々な竹を集めた。日本に派遣された調査員の一人であるウィリアム・H・ムーアは、当時の首相であった伊藤博文や外務大臣の山県有朋に面会し、「竹ならば京都が一番である」という情報を得て、京都府知事である槙村正直に「嵯峨野か八幡ならば良質の竹がふんだんにある」と紹介された。この時、調査員が集めたのが男山にある石清水八幡宮境内に生えていた真竹である。この真竹から作られた炭素繊維をフィラメントにして使うことで、1200時間という連続点灯記録を達成したことが、エジソンに「白熱電球の発明者」の栄誉をもたらした。その後、セルロースによるフィラメントが発明されるまで、十数年間にわたり石清水八幡宮の真竹がフィラメント原料として輸出され、白熱電球が世界中に広がったのである。

 1929年には、電灯発明50周年を記念して世界各国で電灯黄金祭が開催された。この記念事業に日本も参画して、電球の発明と深い縁のある石清水八幡宮の境内に記念碑を建て、エジソンの功績を永久に伝えることになったのである。1934年には石清水八幡宮境内の隣地に「エジソン記念碑」が建立された。さらに記念碑建立50周年に当たる1984年には、デザインを一新した石碑に建て替えられている。

 ところで、1884年に国の使節の一員として渡米した藤岡市助は、ニューヨークのエジソン電灯会社(後のGeneral Electric)を訪問し、エジソンの元で電球製造を学ぶことになる。藤岡市助は日本国内での白熱電球製造を志し、帰国後に電力会社である「東京電燈」の設立に尽力する。その後、「白熱舎」という会社を興し、石清水八幡宮の真竹で日本製の白熱電球の製造を始め、日本製白熱電球「炭素電球」を完成させた。この白熱舎は、(株)東芝の前身として語り継がれている。

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