銀色に輝く巨大女人像「Motherland」@キーウ

いろいろ探訪記
写真1 パトン電気溶接研究所の指導で建造されたステンレス鋼製の巨大な女人像

 読売新聞(2023年5月14日朝刊)のワールドビュー「キーウ 東にらむ剣と盾」を読み、以前に訪問したキーウを懐かしく思い出しました。一日も早く、平和を取り戻すことを願っています。

 ウクライナの首都キーウのホテル・ウクライナ(Michael Huber Ukraine)を出発し、ドニプロー河沿いの高台にある緑地帯を下流方向に小一時間も歩くと、11世紀に建てられたロシア正教ペチェールシク大修道院に着きますが、その少し先に大祖国戦争博物館があります。

 大祖国戦争博物館は、旧ソビエト連邦とドイツの戦争(1941~1945年)の勝利を記念して建設されたもので、野外には実際に使用された航空機、戦車、大砲などが展示されています。地下壕のような博物館の上には、祖国記念碑として剣と盾を掲げた銀色の巨大な女人像が建てられています。

 1981年に完成したこの女人像は、オールステンレス鋼製で台座を含めた高さ102m(像自体は62m)です。『ニューヨークの自由の女神像よりも大きいことが旧ソ連指導部の自慢であり、西側の侵略から祖国を守る意味が込められていた』ことは、読売新聞の記事を読んで初めて知りました。

 キーウにはパトン溶接研究所(E.O.Paton Electric Welding Institute)があります。英国溶接研究所(TWI)、米国エジソン溶接研究所(EWI)と並び称される著名な研究所で、Yushchenko K.A.教授、Formin V.V.リーダーが、女人像の建造に関わったことが研究所の資料から分かります。

 ステンレス鋼は、一般には錆びにくく、高い意匠性がありますが、溶接により熱を受けると応力腐食割れ黒く変色する(焼け)などの問題が生じます。ウクライナには、巨大な女人像のパーツを全溶接で組み上げる高い技術レベルがあるのです。

 女人像が東に向いているのは、単にロシアに対して女人像が尻を向けないよう、旧ソ連指導部が配慮したためと考えられます。しかし、今まさにウクライナ軍が東に向かって大規模な反転攻勢を進める旗頭として、ドラクロワの描いた『民衆を導く自由の女神』を彷彿させます。

写真2 大祖国戦争博物館の上に立つ祖国記念碑「Motherland」
写真3 世界遺産のペチェールシク大修道院からドニプロー河を望む

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